春竜胆2011/05/02 17:16

房総のむらの咲いていた春竜胆(ハルリンドウ)です。
青い色が鮮やかですね。
しかしリンドウってこういう字を書くんですね。

鹿島臨海鉄道 大洗鹿島線2011/05/03 15:32

現在でも運転が再開されていない大洋と新鉾田間に行ってきました。
大洋駅には列車が留置されていましたが職員の寝泊り用に使用しているようです。
駅の時刻表はテープで×印がつけられていたのでダイヤ通りには運転はされていないんでしょうね。
ここから鹿島サッカースタジアム駅までは4月16日に運転が再開されたようです。




大洋駅と新鉾田駅の途中駅の北浦湖畔駅は閉鎖されてました。
この区間の開通は相当に時間がかかるようです。






鹿行大橋2011/05/04 09:54

国道354号線にかかる鹿行大橋へ行ってきました。
北浦にかかる5本の橋の中では一番北の橋になります。
3月11日の震災のため橋が崩落してその後通行止めが続いてます。
お隣には遅々として進まない新鹿行大橋の工事が進められています。
2012年の夏の完成まで国道は分断されたままになりそうです。

那珂湊おさかな市場2011/05/06 17:15

ゴールデンウィーク初日に那珂湊おさかな市場へ行ってきました。
まだ震災の傷跡が至る所に残ってましたが見事に復活してました。
そして日本各地から車で魚を買いに来ています。
茨城の地元の魚もたくさん水揚げされてました。




市場の中にある森田水産別館で食事をしました。
カウンターの上まで津波が襲ってきたようです。
もし食事をしていたら完璧に頭まで水に浸かってます。
私はホウボウの焼き魚定食を食べました。



ひたちなか海浜鉄道湊線 那珂湊駅2011/05/07 17:35

震災後に那珂湊駅に行ってきました。
大きな被害はなかったようですが他の駅舎は相当な被害があったようです。
まだ列車は動いていないようですが駅員さんたちも忙しそうに働いてました。
黒猫のおさむには会えませんでしたが駅が無事でほっとしました。






駅のお隣にあるレンガ造りの倉庫は半分が倒壊してました。




那珂湊反射炉2011/05/08 17:32

先月行った韮山に引き続き那珂湊の反射炉へ行ってきました。
この反射炉は残念ながらレプリカです。
江戸時代末期に当時の反射炉は破壊されてしまいましたが現在のものも昭和の初期に建てられたもので十分歴史が感じられます。




反射炉の入り口にある門は小石川にあった水戸藩江戸屋敷の正門右側の門で、江戸後期に勅使奉迎のため特別に設けられたとのことです。




湊公園2011/05/10 10:21

那珂湊にある湊公園へ行ってきました。
おさかな市場はものすごい混雑ぶりでしたがこちらは閑散としてました。
ここから見る海門橋の景色は最高です。




 湊公園には水戸光圀の別荘がありました。
名前は「夤賓閣(いひんかく)」で建坪300坪以上、28部屋あった。幕末元治元年(1864)の争乱で焼失したそうです。




公園の中にはたくさんの松が植えられていますが湊御殿の松は水戸光圀が植えられたということなので樹齢が300年以上になります。




今津灯台2011/05/20 17:30

5/18・19と父の墓参りを兼ねて神戸へ行っていきました。
名神高速西宮ICを下りてすぐのところに今津灯台があります。
日本最古の灯台で200年の歴史を持ってます。
1810年に完成したこの灯台の正式名称は「大関酒造今津灯台」と言います。
お酒で有名な今津の酒造家「大関」醸造元の長部家五代目長兵衛によって、今津港に出入りする樽廻船や漁船の安全を願い建てられました。

芦屋市霊園2011/05/21 16:51

父の母方が芦屋出身なので分骨という形で父も眠っています。
周りは豪邸やら億ションが立ち並ぶ中に霊園があります。
園内には小川が流れ、松や楠木が植えられるなど、日本庭園風に整備されています。
また、霊園からは阪神間の町並み・大阪湾が眺望でき、園内からの眺望は最高で公園を訪れるような感覚でお参りができます。
祖母の旧姓は「山邑」(やまむらと読みます)と言いこの辺りでは名士だったようです。
昔、祖母の口癖が「山手の屋敷から海まで自分の敷地だけで行けたんだよ。」って本当かな・・・?






旧山邑家住宅2011/05/22 16:43

芦屋市にある旧山邑家住宅へ行ってきました。
山邑酒造八代目当主山邑太左衛門の別邸としてアメリカ人建築家フランクロイドライト が設計した個人住宅であります。
現在はヨドコウ迎賓館といい国の重要文化財になってます。
水曜日と土日だけの開放で入館料は500円です。
帝国ホテルで有名なフランクロイドライトですが一般住宅も手掛けていたんですね。